2014年10月16日木曜日

怒れる若者たち


ロックンローラー壊滅。

1958年、日本で日劇カーニバルを震源地にロカビリー旋風が巻き起こる。

しかし時差なしに情報が入ってくる現代と違い、当時は2年くらいの時差があったようだ。

年間ヒットチャートの半分をエルヴィス・プレスリーのヒット曲がトップを占領していたのが1956年。

本国アメリカの58年には、 デビューから2年、人気絶頂にあったエルヴィス・プレスリーは、ファンの反対運動の甲斐もなく軍に召集され入隊、ドイツへ派遣されてしまう。

さらに エルヴィスの留守中、バディ・ホリーエディ・コクランジーン・ヴィンセントなどが事故死、ジェリー・リー・ルイスチャック・ベリーのスキャンダル、リトル・リチャードの引退。


一線を飾っていたロックン・ローラーが相次いで消え、変わってストレートなロックに変わって軽いポップスがヒット・チャートを塗りつぶすようになる。

ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、デル・シャノン。レイ・チャール、イギリスではクリフ・リチャードが変わって主役となり、メロディーラインの美しい、いわゆる60年代POPS全盛期に入る。

日本で最も愛されてきたPOPSはこの時代のものだ。本国では、すでにロックンロールは壊滅状態にあった。

1960年、エルヴィスが復帰。ブランクをモノともせず、人気の衰えもないままエルヴィスはより大きなシンガーへの転身がはじまる。
しかし、 のちにジョン・レノンは「僕はハート・ブレイク・ホテルによってロックに目覚めた。そのエルヴィスは軍隊に殺された」と言っている。






ロックンロ-ル
























怒れる若者たち


1930年代からアメリカ文化を追いかけていたイギリスでは、アメリカのロックシンガーは大歓迎され、エルヴィスもアメリカ以上に絶大な支持を受けていた。

特に「怒れる若者たち」テッズ族(テディ・ボーイ)には熱狂的に支持された。

アメリカのロックンロール旋風と違い、人種差別主義のテッズ族は1956年には国内最大の暴動事件を起こしている。

革ジャン&ハーレーに乗った反抗する若者をテーマにした1954年製作のマーロン・ブランド主演の映画「乱暴者」がイギリスにおいては68年まで公開禁止されたことが、当時の若者の行動への危惧と狼狽を語っている。











1968年は「イージーライダー」が公開された年だ。
若者文化が労働者階級にまで浸透していなかった1963年に登場したザ・ビートルズはアバンギャルドにも支持された。

ピエール・カルダンを着用したアートスクール出身の彼等の音楽、ファッションによるインパクトは黒人のプレイするR&B、ホモセクシャルを裏から表にする役割を果たした。

同時にドラッグ、マリファナの使用を「あたりまえ」のように広めた。ビートルズやローリング・ストーンズの登場と成功はイギリスの民主化が進展したこと意味した。

テッズ族が時代遅れになり、変わって労働者階級から発生したロッカーと中産階級(ミドル)を中心としたモッズが台頭する。


モッズの典型的なスタイルカラフルでスエードブーツ、リーバイス、マドラスやストライプタイプチェックのジャケット、スクーターで、洗練され、消費主義に徹していた。音楽的にはR&B、ニューソウル、スカ、M.J.Qなどのトラッドジャズを好んでいた。

一方、黒で固めた野卑なロッカーは革ジャン、鉄鋲、リーバイスにバイク、ロックンロールを愛好。64年に両者の抗争が起こるが、これは階級闘争に根ざしたものだ。



2014年10月14日火曜日

停滞とアナーキーのはざまに



停滞と

アナーキーのはざまに



 「エルヴィス・プレスリーがいなかったら、我々はパティ・ペイジと訣別することはできなかっただろう」という有名な言葉がアメリカにある。

ジョン・レノンは「エルヴィスがいなかったらビートルズはなかった」と言い、ポール・マッカートニーは「われわれは遂にエルヴィスを超えることができなかった」と言った。

それは先駆者としての
エルヴィス・プレスリーを賞賛する言葉だが、身震いするほど凄いのは、人種差別問題が激化した時代に黒人のフィーリングで歌い、エキセントリックに下半身を動かす独特のアクションで「テレビ時代の始まりのテレビ」に登場したことだ。
この状況を想像するだけで、全身に震えが走る。(風邪をひいているわけではなく。)





白人と黒人が同じバスに乗ったのは
エルヴィス・プレスリーが全米に大ブームを起こした
6年後の出来事なのだ





1896年、アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」
という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下した。
この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかった。
1954年に歌手としてエルヴィス・プレスリーは黒人の歌をレコーディングしているが、この年には「ブラウン裁判」が行われる。




カンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判のことだ。

実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれる。



全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしだった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となった。





しかし、この判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレート。


KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになる。

1963年8月28日、黒人の公民権運動のために「私には夢がある」と訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われる。
やがてその抗議は全米で黒人暴動という形で広がった。



米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生。

さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、北アイルランドで公民権運動が起こる。



ロックンロールによって


爆破された壁の向こうに。 



1956年に起こったエルヴィスのヒットチャート独占による衝撃は自由なアメリカ社会においても当時は尋常ではなかった。

「白人女子を汚らしい黒人文化で汚すのか」「卑猥で下劣だ」という抗議が相次ぐなか、エルヴィスのクリスマス・ソングを放送したとしてディスク・ジョッキーがラジオ局から一方的に解雇され裁判沙汰になっている。

1950年代のアメリカは建国以来のピューリタン的なマインドが薄れていくにつれ、価値観に変化が起こりはじめ、社会不安が強まる傾向にあった。

既成の倫理のほころびを最も強く感じていたのは若い世代そしてマイノリティだった。



「怒れる若者たち」は存在したものの、現代の若者文化の原形が完成したのは1956年のロックンロールの発火によるものだ。

エルヴィスが持ち込んだ「危ない音」によって爆破された危ない時代の崩れた壁の向こうに、人々が見たこともない世界が存在していた。


こうして始まったロックンロール旋風は、若者を大人たちの既成の価値観から、女性を権力の拘束から解放し、黒人音楽のリズムに潜んでいる「乾いた性」を白人社会の抑圧された湿った性に突き付け解放する方向へ押し進める力となる。

米英のレコード売上倍増に始まり、ファッション、音楽、セックス、車(バイク)がワンセットになった若者文化の誕生した。

それはまさしく戦後の停滞とアナーキーのはざまに咲いた「ポップカルチャー」誕生の瞬間だった。





もともとは経済用語として誕生したティーンエージャーという概念が、一般化する。


ティーンエージャーはギルバート・ティーンエイジ・サービスという市場調査会社が15歳~19歳の市場が経済にあたえる影響力の大きさを1945年に提言した際に使用した造語だった。


要するにエルヴィス以前に「ポップカルチャー」というものは存在しなかったのだ。


そしてそのインパクトが世界を駆け巡り、収穫逓増の原理が働くのに多くの時間を必要としなかった。


「エルヴィス以前には、なにもなかった」

「エルヴィスがアメリ文化を変えた」という伝説が生まれたのはそのためだ。




2014年10月13日月曜日

カウンター・カルチャーとしてのロック魂








アメリカは世界有数の消費社会で、派手に戦争もするけど、一方ではアメリカの良心のように、消費文化や行為に対する対抗する文化(カウンター・カルチャー)が途切れることなく根強く流れている。


心優しい 人たちが自分たちの土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。30年代の悲しみと不安を描いたスタインベックの小説「怒りの葡萄


怒りの葡萄














あるいは、50年代のジャック・ケルアックの「路上」に代表されるビート・ジェネレーションのボヘミアン的な暮らし。

中産階級の不毛からの脱走として独特のカウンター・カルチャーがサンフランシスコのベイエリアを拠点にカリフォルニア州から発信されてきた。

このどうにも切なくやるせない思いはウェストコースト・ジャズのメッカとしていまも引き継がれており、街中ではいつでもジャズが流れている。

ジャズはロックの登場が待ちきれなかった者たちの身体レベルで響くサウンドだった。

モントレーのジャズ・フェス は世界最大級の規模でいまも毎年開催されている。
(注:「ビート」は口先だけの言葉ではなく、人々を振動させる行動を伴った言葉だ。)

60年代に”サマー・オブ・ラブ”として歴史を刻んだのも、ビート・ジェネレーションの継承だ。
70年代には舞台を移し、ニューヨーク・パンクによってイデオロギーがイギリスに飛び火。
ビート・ジェネレーションは、1950年代前半にうごめいていた。
いまから半世紀も前のことだけど、ビート・ジェネレーションが表舞台に登場するには、ロックンロールの登場を待たなければならなかった。

愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション


ロックンロールの誕生は、何をもって誕生とするかは人によって解釈が違う。
しかし、白人によるパフォーマンスをその起源とするのが、もっとも妥当であろう。なかでもロックンロールを大衆文化に送り込み確固たるものにしたという点では、エルヴィス・プレスリーの登場に尽きる。

BlueSuede Shoesという曲は、ロック魂そのもの。well you can do anything but lay off my blue suede shoes


愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション


BueSuede Shoesという曲は、ロック魂そのものだ。

 well you can do anything but lay off my blue suede shoes

ロックの黎明期のこと。

エルヴィス・プレスリーは「あんたが何をしたって構わない。 だけど俺のBlue Suede Shoesは踏まないでくれ」と歌った。





この曲がロックンロールとは何かをすべて表現している。

誰もが見たことも聴いたこともないその過激さゆえに悪魔か殺人鬼のように世間から袋叩きにされたアメリカ南部メンフィスの貧しい青年エルヴィス・プレスリー。

当時のライバルで優等生のイメ-ジのパットブーンが白で固めたコスチュームに対峙して歌った「ブルー・スエード・シューズ」。

カール・パーキンス のオリジナルだが、当時のエルヴィスの状況を映し出した曲として、エルヴィス・プレスリーのシンボリックな曲として扱われている。


カール・パーキンスのオリジナルとは違いエルヴィス・プレスリーは最初からたたみかけるように一気に突っ走る。ワイルドだ。

ロック魂がストレートに伝わってくる名曲だ。

ロック魂とは、つぶれそうになりながらも、あるいは潰されそうになりながらも、泣きたい、降参したい、それでも自分の道を貫き通そうとする。追い込まれてもがむしゃらにやる、カッコ悪さではないだろうか?

カッコ悪いというのも、第三者に言わせればの話で、実はそう言う本人にやり通す自信がないだけのこと。

つまりコンプレックスの裏返しでしかない。


ロック魂とはこの裏返ってハスに構えた状態ではなく,もっとストレートでがむしゃらで変化を恐れないことだ。



2014年8月14日木曜日

エルヴィスを聴きながらワイワイ飲んで食べる会




エルヴィスを聴きながらワイワイ飲んで食べる会

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主催 愛ピのエルヴィス.プレスリー コレクション

「エルヴィスについて語りたい」...
そんな欲求不満を一緒に爆発させましょう!

全国主要都市で 「エルヴィスを聴きながらワイワイ飲んで食べる会」を開催します。
イベント内容はシンプル、参加して、大いに飲んで食べて、思い切りエルヴィスを語るだけの自由なスタイル。
もちろんエルヴィス自身の歌声、映像がみなさんを励まします!
(パフォーマーなどのパフォーマンスはありません)特別ゲストはあなたの中のエルヴィスです。
あなたの心に住んでいるエルヴィスを出して挙げましょう!


1. 興味のある方は、 こちらからアンケートにお答えください。
2. アンケートを集計し、エリアごとに準備をします。
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4.余裕があった場合は、一般に告知します。 
参加する・しないはご連絡メールで、
内容をご確認の上お決めください。


各地での1回の参加者数は、
声が聴こえる、笑顔が見える 10~20名さま前後、
ご予算は3500円前後を予定しています。

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